広大だと言う弊害

コメントしようかと思ったけど、長くなりそうなんでエントリで答えますw

永字八法:なぜケータイ小説は売れるのか
http://d.hatena.ne.jp/eiji8pou/20080224/1203798008

のコメント欄への返答。

書籍化されたケータイ小説の書評のほとんどが指摘している点は、小説(文章)として、あまりに稚拙だと言う点だと思われます。
漫画だと、たとえば絵が下手でも、何とかなってしまう部分ってあるでしょ?
ガモウ先生や、つの丸先生やその他諸々あるけど、漫画として成立してるよねぇ…
もちろんそこには、漫画特有のある構造があるんで、小説と一概に同じとはいえないわけですが…。
で、小説だと漫画なんかで絵で表現する部分なんかも、全部文章に頼らないといけないんだけど、たとえば『リアル鬼ごっこ』の場合、その表現という部分(ストーリーのアイディアや流れは置いておくとしても)がまるでダメなんですよw
『恋空』も同じ。もっとも、あの表現で、場面を想像できる人間が読者層だって言うことでもあるし、あり得ない表現で場面を理解できるって言うのは、ある意味ものすごい事なのかとも思えるけどw(と、言うか彼ら特有の暗号かもしれんw)
ちなみに、ストーリーのアイディアや流れについても、決して真新しい物では無くて、誰もが考えつきそうな発端で誰もがたどり着きそうな結論と言う平凡な作品でしかないですよ、ほとんど(って言うかシックスナイン-99.9999%-で)w、あーだから共感できるとか、リアルとか思う奴らがいるのかw
じゃぁなんで受けてるのかと言うと、今までそういうことに接していなかった世代や客層に向けて発信したことが成功したんだと言うのが第一じゃ無いかと思います。
ところが携帯と言う媒体で成功した物だから、一応紙の媒体に(はじめの思惑は違うかもしれないけど)進出してみたら、結局は既存のメディアの中で揉まれる事になると言うわけで…よって厳しい批評や批判を受けるわけです。
そして、その内容が白日の下にさらされて、生暖かウォッチャーの標的になるとw(作者の反応含めてね)
つまりケータイ小説とは携帯電話と言うメディアのお花畑でしか開花しない、徒花なのですよ。もっとも携帯電話と言うお花畑が今まで存在していたお花畑よりも遙かに広大になっていると言う点が違うわけですが…(広大なおかげで錯覚を生んでしまうって言うのもあるだろうなぁ…)
そういや、この前エロゲからシナリオまるパクリの作品が話題になりましたなぁw

創作活動を行うことまで否定しないし、オリジナルな物をつくろうとする努力は否定できませんが、内容がねぇ…同人誌レベルとは言えないw、同人誌の裾野広いし、中にはかなり高レベルな物もたくさんあるし…多分比率で行けば同人誌の高レベル率の方が、ケータイ小説の高レベル率よりも数段上だとも思われるしw

そういう意味では、漫画版や映画版を作った人たちは、ある意味ものすごいですよw、何せアレを人が見える(見られる)形にしたんだからw


脳内BGM『ハンマーソングと痛みの塔-Bump of Chicken-』

orbital period

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